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 このページでは経営、会計、ITに関して日々の思ったことや考えたことなどを綴っていきます。 なお、このページの名称を内容に沿うように「day by day」から「コラム」に変更いたしました。
 表題の各項目にはブックマークを付してありますので、ご覧になるときは各表題名をクリックしてください。

表        題

総合化と専門化について

2008/11/5

時価の意味を考える

2008/10/11

数字は万能ではない(責任と原因の峻別)

2003/2/23

全体最適と部分最適

2003/1/2

話す能力と聞く能力

2002/9/7

アウトプットとアウトカムという二つの言葉

2002/8/29

情報化投資の効果について

2002/8/22

信頼がもたらす取引コストの低下

2002/8/21

原価率マネジメントとキャッシュフローマネジメント

2002/8/17

決算書を社員に公開するか

2002/8/16

旗を立てるということ

2002/8/11


総合化と専門化について(2008/11/5)
 社会が複雑化するにつれて総合化というのは流行らなくなりました。例えば、どんな商品でも取り扱いますという商売は経営資源の分散を招き、競争環境のなかでは勝者にはなれない。知識においては「何でも知っている」というのは「何にも知らない」ということであり、中途半端な知識は実戦では使い物にならない。また、医療を見れば一目瞭然で、内科の医師に外科の手術をお願いすることはありえない、などなど。
 ですが、医療の世界はともかくとして知識の世界においては皆がそれぞれの分野の専門家を目指してしまったら「全体」というものが見えなくなることも事実です。世の中の抱える問題や経済・経営が抱える問題というのは当たり前ですが、「この問題は○○の専門家の先生に聞けば 解決する」という区分けはできず、複合的な事象が幾重にも重なっているというものだと思います。そして、現実を見てみても、ときとしてそれぞれの専門家の意見は「群盲象を撫でる」という状況に陥ってい るといえます。
 そうした複合的な事象に対してはそれぞれの専門家同士が一同に会し、互いに議論するなかで解決策を練り上げていくというのが一般的な方法でしょうが、お互いの価値観、時間と空間の軸の大きさ小ささ、 職業的意識その他依って立つ前提条件が異なれば「何が問題なのか、何を一番重要視しなければいけない」かがかみあわず、議論が収斂するというのはとても難しいように思えます。

 では総合化に走ればいいのかというと、これではなかなか「商売にならない」。下手をすると「素人に毛が生えた」程度と評されてしまうかもしれません。また、懐かしい言葉を使えば「T字型」。一つの専門化した深みと、横に広がる博識といえば聞こえがいいかもしれません。
 ですが、それはある意味で は、「ビジネスマンはT字型(あるいはπ型)人間になれ」というような問題解決の提供者側からの切り出しであって、問題解決する上ではどこまで有効なのかなという疑問は残ります。

 そんなことをつらつら考えながら、「お前ならどうするのか」と問われるならば、どうせなら、鳥瞰図的な広くバランスがとれた視野と虫瞰図的な地べたをはい回れる現実的な対応力の両者を初めから狙ってみたいと思っています。
 というわけで、唐突ですが私の目指すものは専門医の知識と、専門医へのネットワークを持った町医者です。


時価の意味を考える(2008/10/11)
 
今日の新聞等を見ますとこの1週間で株式時価が1400兆円失われたという記事が目に付きました。この1週間でなんと1400兆円もの経済価値が失われたということですが、それは意味のある数値なのかどうかちょっと疑問に思ってしまいます。
 例えば、次のような株主3人の単純化した会社(株式上場会社)で考えみたいと思います。

  

 株主が3人いて、それぞれ時価1万円の株式を100万株ずつ持っていて会社の時価総額が300億円という話です。このとき、株主1さんがご自分の時価総額を換金しようとして持株の100万株すべて株式市場に売りに出したとします。このときに株主1さんは実際にはいくら手元にお金が入るでしょうか。
 その答えは「分かりません」、でも間違いなく100億円にとうてい満たないような金額であることは間違えないのではないでしょうか。つまり、株式の価格(時価)は需給関係で決まります。ですから、株主1さんが持株100万株を売りに出すということはそれだけ株式の供給が増えるわけで、100万株を売りきるまでにはそれだけの供給増加により株価が下落していくからです。
 同じようにして、株主2さん、株主3さんも持株をすべて売りに出したら、つまり、A社の時価総額を換金しようとしたら、実際に得られるお金は時価総額300億円に到底満たないような金額になることは間違えないでしょう。

 つまり、株式時価1万円というのは手を出してそれを取りに行った瞬間、逃げていってしまうものなのです。ちょうどお風呂の入ったとき、髪の毛が浮かんでいることに気がついて、それを取りに行ったとき、自分がつくった水流で髪の毛が逃げていってしまうように。


5月のアクセス数(2008/6/5)
 
最近はあまりやらなくなったのですが、このHPの5月のデータの転送量が3500MBを超えたというのと、EXCEL2007も100万行まで拡充されたことも分析しやすいかなと思いまして、アクセスログをダウンロードしてみました。
 アクセスログは圧縮されていますので解凍して、それを秀丸というエディター(私の場合、文章はほとんど秀丸で作成しています)で開いてみたら、約120万行(80文字折り返し)。それをエクセル2007で読み込ませて、GIFファイルなどへのアクセスログを消去するなどして、残ったのが約82000行。単純に考えて82000PV(ページビュー)ということになるかもしれません。

 ほとんど現在はインフォメーションぐらいしか更新していませんが、よく見ていただいていると感謝いたします。まだまだ中途半端な内容であるというのは作成者が一番自覚しておりますので、今後は少しでも多く更新して見ていただいた方の多少のお役に立つようなサイトにしたいと思います。
 

投資と消費について(2008/6/5)
 管理会計のセミナーを行っていると投資という言葉を結構使います。投資利益率、投下資本、投資キャッシュフロー、投資対効果などなどです。はたまた、物的投資や人的投資という言葉も用いたりします。
 投資に対する言葉が消費。消費が現在の儲けを生み出すために使われる財やサービスの利用であるのに対して、投資とは将来の儲けを生み出すために(生み出すことを期待して)先行して行う財やサービスの利用ということができます。

 以上のことは当たり前のことと思いますが、それが会計の世界でその当たり前の通りに表現されるかというとはなはだ?のところがあります。当たり前に会計の世界で表現されるというのは投資は将来に効果を生むから、効果を生む時期までに貸借対照表に計上され、消費はもう効果は生じたのだから損益計算書に計上するということです。

 具体的に例をあげるならば、
 ・将来の新規事業のために人材を大量に確保し、教育訓練を行った場合、一般的な意味では「投資」ですが、それらの支出額は会計上は損益計算書に費用として計上されます。
 ・将来の新規商品販売のために研究開発を行った場合、一般的な意味では「投資」ですが、それらの支出額は会計上は損益計算書に費用として計上されます。
 ・来期から需要増加を見越して新規工場を建設し、そのなかの大型機械をリース(ファイナンスリース)で設置し、そのリース料を支払ったとき、一般的な意味では「投資」ですが、それらの支出額は会計上はキャッシュフロー計算書に「営業キャッシュフロー」に計上されます(少なくても平成20年3月期までは)。

 一言で言えば財務会計というルールが存在する世界で作成されたデータを、自社特有の価値判断で行う管理会計にそのまま何の加工もせずに流し込んでたら、意思決定を誤る可能性があるということです。


数字は万能ではない(責任と原因の峻別) 2003/2/23
 企業では毎日の日々ごとに売上が発生し、月次・年次の売上高、売上総利益(粗利)の数字が変化していきます。そうしますと、管理者はその変化をトレンドとして、そこから何らかの傾向・兆候・事実などを発見しようとします。特に最近ではパソコンの利用も一般的になっており、データ分析ソフトも販売されていますので、こっちが頼まなくても、例えば「新宿店の売上高がここ1週間に2.5ポイント落ちていて、月次の目標売上高にはあと34百万円。これを残る2週間で達成しなければならない」というメッセージがパソコンを起動させれば表示されたりもします。そしてこのメッセージを見た管理者は新宿店の店長に電話を入れ、その事実を指摘し、目標売上高を達成するためにどんな手立てを考えているのかを問うでしょう。要するに管理者からみれば新宿店の店長は与えられた責任を果たしていないという指摘をし、責任追及をするわけです。ごく当たり前の風景です。
 ですが、少し考えてみますと新宿店の売上が落ちたのは店長の「責任」であることは間違いのないことでしょう。しかしながら、新宿店の売上が落ちた「原因」は店長にあるのかというと、それはほとんどわからないように思えます。例えば新宿店の売上が落ちた原因として次のことが推測できます。
 ・新宿店の購買は本部の商品部が決めており、店長には仕入権限がない。
 ・間接部門のリストラで現場経験のない中高年の社員が店舗に異動し、現場をよく知っているパートの人数を削減させた。
 ・新宿店の近所で暴力団の抗争があり、人の流れが減った。
 ・新宿店の目の前に大型量販店が進出してきた。

 結局のところ、消費者と向かい合う最前線の現場(店舗)は企業の外部環境の変化や社内組織の問題点が吹き出る出口と言えると思います。そうした様々な原因をさほど考慮せず、現場の責任追及に終始するなら、それほど効果は出ないのではないでしょうか。
 管理者の役目は数字(店舗の売上減少)を数字(月次売上目標の未達成高)に置き換えて伝達するのではなく、数字を外部環境の変化(の兆候)や社内の問題点の現れかもしれないと考え、考えを巡らせ、言葉にしていくことだと考えます。
 数字で表現されるのは現実の実態ではなく、数量化できる実態や活動に限られ、ひょっとしたら数字で表せる世界は「水面から上の氷山」に過ぎないかもしれません。


全体最適と部分最適 (2003/1/2)

 全体最適(例えば企業全体の利益)は部分最適(例えば一部門の利益)に優先するというのは誰にも異論はないでしょう。しかし、実際には全体最適は部分最適の前に置き去りにされていることが多いのではないかと思います。社員は誰しもある組織に属し、職務範囲と責任が他部門と重複しないように規定されているはずだからです。換言すれば、職務範囲が他の社員と明確に区分されることによってそれぞれの社員の業績が把握され、成果が問われ、ひいては社員ごとに評価がされるはずだからです。

 昔から製造部門と販売部門は仲が悪いことが多いと言われています。製造部門は製造ラインに合わせたロットでまとめて生産し、製造単位当たりのコストを下げることによって部門利益を増やすことができます。それに対して販売部門は売り切るだけの在庫があればよく、まとめて製造部門から製品を送り出されてきても、売り切らなければ滞留在庫となり、評価損や廃棄損計上による部門利益の悪化につながるといった理由からです。
 こういった場合、特に製造部門と販売部門がそれぞれエゴで動いているというわけではないでしょう。ですが、製造部門が強ければ市場の需要を無視した生産による在庫の過剰、在庫過剰に伴う値崩れ・廃棄損の発生などが生じ、営業部門が強ければ生産量のぶれ、緊急の短納期注文の増加またはコストに見合わない受注などが生じると思います。また、生産品目・数量などの決定を巡って会議などの調整も頻繁に行う必要が出てくるでしょう。どちらにしても全体最適を阻害してしまう可能性が高いように思えます。

 理屈の上からは製造部門・営業部門の両者とも会社の利益という全体最適を目指すべく業務活動を行うのは疑いのないことです。しかしながら、全体最適を達成するために製造部門・営業部門の両者それぞれの活動指針(ルール)・評価指標もしくはその評価指標を出力するシステムを構築するのはそう簡単ではないように思えます。「神の見えざる手」が全体最適となるように社内各部門の指標を自動的に指し示し、製造部門と販売部門との間でも何ら調整のための時間等を必要としないそんな仕組み作りは可能なのでしょうか。そして、その仕組みの中では社員はどのような行動は許され、どのように評価されていくのでしょうか。少し、考えてみたいと思います。


話す能力と聞く能力(2002/9/7)
 話す能力と聞く能力、この2つの能力のうちこれまでは話す能力の方が関心が高かったように思えます。堂々と落ち着いた口調で理路整然と流れる言葉を話す人は有能でリーダーシップもある人物とみられ、周囲の評価も高いことでしょう。また、外資系のコンサル会社の見事なプレゼン能力はコンペで競争相手に打ち勝っていく最大の武器ともいうことができます。
 一方、話す能力に対して聞く能力はその重要性は誰しも理解しながら、聞くという受け身のこととされ、話す(プレゼンも含めて)訓練やセミナーはあっても、聞く訓練等はなかったという程度のものでした。しかしながら、現代のように顧客や社員も1人1人様々な価値観や意見を持つようになっていることを考えますと、話す前に聞くことが重要であり、いかに能弁な話ができようとも、それが聞いたこととずれているものならば、ときには話は独りよがりとなり、話す側の立場に立脚したプロダクトアウト的なものになってしまうおそれがあるのではないでしょうか。

 また、聞くことは一見受け身の印象を持ちますが、話を聞きながらその内容を整理し、ときにはその矛盾点やおかしいところを指摘し、相手の気づいていない観点を指摘してあげるなど、積極的に相手との望ましい関係を築こうとするものだと考えます。それは間違っても相手の矛盾を契機に攻め込んでこちらの言い分にYESを言わせるというものではありません。

 BPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)もSCM(サプライ・チェーン・マネジメント)もその視点や立脚点は顧客の視点です。また、消費者を直接の販売先としている企業が「お客様相談室」のような消費者の声を聞く部署を設けている例も増えています。
 ただ、このように顧客満足はあらゆるところで言われながら顧客起点(顧客ドリブン)になっている企業はけっして多くはないともいわれています。顧客起点に立ち、顧客満足を実現するためにもまず聞くことの重要性に耳を傾ける必要があるのではないかと思います。


アウトプットとアウトカムという二つの言葉(2002/8/29)

 アウトプット(output)とアウトカム(outcome)という言葉があります。アウトプットとは「出力」という意味で日常でも多く使われています。アウトカムとは「成果」という意味の言葉です。
 この二つの言葉は似ているようで似ていない言葉です。どう二つの言葉が違うのかを考えることはけっこう大事なことと思いますので、この二つの言葉について書いていくことにします。

 企業の経営者が「売上を伸ばせ」というときの「売上を伸ばす」というのはアウトカムです。これに対して営業担当者が「顧客訪問先件数を増やす」というのはアウトプットになります。つまり、営業担当者が訪問先件数を増やせるかどうかは乱暴に言ってしまいますと、営業担当者の顧客開拓に割ける時間ややる気の問題で、企業内部で完結する、コントロールできる(すべき)問題です。それ故、顧客訪問先件数を増やすことは企業というある意味で大きなシステムから出力されると考えることができますので、アウトプットとなるわけです。
 これに対して営業担当者の訪問を受けた顧客がその企業の商品等を購入するかはあくまで顧客の意思の問題で、その企業ではコントロールすることはできません。ただ、営業担当者の説明や勧める商品に魅力があれば購入の意思決定をしてもらえる確率は高くはなります。
 まとめますと、顧客訪問先件数を増やすのは企業がコントロールできるアウトプットで、顧客からの受注は顧客訪問先件数との関連性はあるが企業がコントロールできないアウトカムということになります。

 しばしばアウトプットとアウトカムは区別されないで現実で使われています。例えば経営者が部門長に向かい「売上を上げろ」と言い、部門長は課長に向かって「○○製品の売上をあげろ」といい、課長は営業担当者に向かって「君の担当する地域の○○製品の売上をあげろ」といいます。これらのすべての指示はアウトカムの言葉で、企業自体がコントロールできるものではないことは先ほど述べたとおりです。この指示を受けた営業担当者が理解できるのは担当地域の売上をあげなければならないという内容だけで、売上を上げるために「どんな手法で」「どんな顧客に重点をあげればいいのか」という具体的な営業展開の方法まで含んでいません。
 その結果として起きることは無駄な営業の展開、訪問しやすい顧客だけに訪問、喫茶店で一休みといったところです。営業担当者にしてみれば月末に「今月も売上は目標に達していない。来月は何とか目標を達成しろ」という課長の決まり切ったお小言を聞き、それに対して「先方からいい感触は得ているんですが、内部調整で時間がとられているようです」とこちらも毎月同じような言葉を返しているというものです。課長の方も「本当かな」と聞いているんですが、売上高以外の指標で管理をしていませんので、それ以上の言葉は出てきません。
 つまり、先の事例では売上高という企業内部でコントロールできないアウトカムの指標だけでマネジメントを行っていますので、営業担当者(営業課長も同じ)の業績や責任を完全に測定できないでいますし、営業方法改善の切り口も見つけられず、「結果オーライ・成り行き経営」に陥ってしまっているのです。

 先の事例のような成り行きマネジメントから脱却するには企業内部でコントロールできるアウトプットの指標で営業担当者の営業プロセスを管理する必要が出てきます。具体的には訪問先件数、新規訪問先件数、見積書提出件数、プレゼン実施件数などです。これらのアウトプット系の指標で営業担当者を管理することにより、営業方法・体制の改善ポイントが発見でき、営業担当者の人事考課の精確さが増し、モラールアップにもつながることになります。

 BSC(バランス・スコア・カード)はまさにこのようなアウトカムとアウトプットとの区別をし、全社戦略を現場の営業マンの具体的なアクションプランまで展開するための考え方・ツールであり、非常に有効なものだと考えています。


情報化投資の効果について(2002/8/22)
 テレビや雑誌などの様々なメディアで「ITが企業成長のカギ」というようなメッセージを大量に流していますが、実際のところは「これまでいくつか情報化投資を行ってみたが期待した効果はでなかった」という声が多いのではないでしょうか。そこで情報化投資の効果について考えるところを書いてみたいと思います。

 情報化投資の難しさは情報化投資を行っただけでは期待できないところにあります。機械設備ならボタンを押すだけでその機械が持っている性能どうりの製品を作り出してくれますが、情報化投資はそうした企業の顧客に対して提供する製品やサービスを直接に作り出すというよりは、企業が製品等を作り出し、販売する上で必要な情報・有効な情報を大量に収集し、蓄積するという面が強いからです。ITの3文字熟語で申し訳ないですが、ERP(エンタープライズ・リソース・プランニング)、SCM(サプライ・チェーン・マネジメント)、CRM(カスタマー・リレーショナルシップ・マネジメント)など流行の情報化投資は企業の競争力強化に役立つことは間違いないことなのです。ですが、それらが役立つには一つ条件がありまして「それらの情報化投資を使いこなせれば」というものです。

 情報化投資の効果性が高ければ高いほど経営、具体的には組織・業務の流れ・意思決定の仕方などに与える影響が大きくなります。そのため、経営者自らがリーダーシップを取り、情報化投資をする目的を社員に説明し、全体最適の見地から部分最適の声を収めていかないと導入に失敗するか、導入されても使われないままに終わってしまいます。
 また、最近言われるようになった言葉ですが、「成熟度」と言う言葉があります。企業の成熟度を考慮しないと、情報化投資は失敗するというように使われます。例えばこれまで250CCのオートバイにしか乗っていなかった人間がいきなりハーレーダビットソンに乗りたいと、ハーレーを購入してもうまくはいきません。もし、乗りたいと思ったら体力増強などの「成熟度」を高める期間が必要になります。企業の情報化投資も同じで投資効果が大きいと期待される投資ほど、用意周到な準備期間・体制が必要になります。


信頼がもたらす取引コストの低下(2002/8/21)

 製品・サービスは当然のことながら提供者がいて購入者がいます。購入者が提供者から製品等を購入する際には販売店で製品等の説明を受けたり、製品等のパッケージに記載されている製品内容を自分の目に確かめ、値段を確かめ「これならいいか」という判断が出来たら購入します。日常よく購入する製品などではこのような買い物風景になるでしょう。
 しかしながら、画期的な新製品で値段も魅力的、ただし、提供者ははじめて聞く会社で通信販売でしか買えないといった場合どうでしょうか。購入者の会社名をインターネットで検索してどこにある会社でどのくらいの規模の会社なのかを調べたり、知人に購入している人がいないかを聞き回って評判を聞いてみたり、それぐらい画期的なら雑誌にも載るだろうと思い、雑誌をめくってみたりするなど様々な取りうる手段を使って、提供者と新製品の情報を収集しようとすることと思われます。

 このように(購入)取引をするかどうかを判断するために情報を収集したりするコストを「取引コスト」といいます。創立間もないベンチャー企業が大企業と取引をするために要する取引コストは大きく、企業グループ間取引での取引コストは小さく、一般消費者がブランド品購入に要する取引コストはほぼゼロと言うことができます。

 提供者側の視点に立ったとき、いかに購入者が要する取引コストをいかに低くするかが重要な関心事になりますが、これは月並みですが「嘘をつかない」「責任逃れをしない」「自分に不利なことでも情報開示を行う」など購入者サイドに立って信頼を積み上げていくしかないように思えます。
 消費者の信頼を裏切り、不祥事を起こした企業が信頼回復に努めるどころか、不祥事がなかったことのように一刻でも早く終息させたいというのでは取引コストは取り返しのつかないほど大きくなってしまいます。また、不祥事を起こした企業に勤務する多くの信頼できる人間の誇りも奪ってしまいます。


原価率マネジメントとキャッシュフローマネジメント(2002/8/17)

 先ほど読んでいた本に「経営指標には原価率とキャッシュフローの2つがあり、それぞれマネジメント方法が異なる」という趣旨の出井伸之ソニー社長(現会長)の言葉がありました。会計士顔向けの卓見でしばらく感心していました。
 原価率マネジメントの方は通常の製造業を考えればいいものです。コスト発生と製品販売による収入発生の間にさほどのタイムラグがないために、毎期・毎月原価率を測定してコスト管理を行えばいいというものです。一方、キャッシュフローマネジメントの方は例えば映画製作のように初期投資として膨大な資金が必要となりますが、映画が完成して映画館で上映されてからは初期投資に比べれば遙かに少ない運営費用がかかるだけというビジネスが対象です。
 キャッシュフローマネジメントのビジネスでは原価率がほとんど意味を持たないことは明らかです。映画製作で言いますと、映画完成までは収入はゼロで原価の発生のみで原価率は測定不能。映画上映後は極めて低い原価率ということで原価率の比較をとること自体意味がないからです。
 キャッシュフローマネジメントの場合の管理指標は初期投資額、投資後各年のキャッシュフロー、初期投資額の回収見込年数、初期投資の有効年数、最終的なキャッシュフロー純額などです。このように原価率マネジメントと異なり、一定期間ごとの区切りによる管理ではなく、プロジェクト管理のようにプロジェクトとして結局は儲かったのか、損したのかが問題となります。

 一つの企業の中でも原価率重視型ビジネスとキャッシュフロー重視型ビジネスとが混在していることが多いでしょう。その場合、もともと損益計算書は原価率の観点からビジネスの効率をみますので、その点を十分に考慮してマネジメントを行っていく必要があるといえます。

 また、キャッシュフロー重視型ビジネスから派生して考えたことは「原価とは何なのか」という古くて新しい問題です。例えば「薬九層倍」という今ではあまり使われなくなった言葉があります。薬の売価は原価の9倍(10倍)という意味の言葉ですが、これはキャッシュフロー重視型ビジネスと原価率重視型ビジネスとを混同しているものではないかと推測することができます。つまり、新薬の研究開発に要したコストを考えずに薬の原価をこれぐらいと言っていると思えるからです。
 そして、それなら研究開発費を考慮したら「薬○層倍」になるのだろうと考えがおよんでいくというわけです。


決算書を社員に公開するか(2002/8/16)
 先日、中小企業の経営者団体の幹事会(東京中小企業家同友会荒川支部)に出席したときに「決算書を社員に公開するか」という話がでました。
 これはけっこうデリケートな問題で、やり方によっては次のような思いを社員に抱かせます。
 (1)「こんなに儲かっているなら給料をもう少し上げてもいいのではないか」
 (2)「こんなに儲かっているんだから、少し手を抜いてもいいかもしれない」
 (3)「こんなに儲かっていないなら、今のうちに転職を考えよう」
 (4)「儲かっていないのは役員の給与が高いからなんだ」
 (5)「社長の80歳になる母親がなぜ自分たちと同じくらいの給料をもらっているのか」

  さらに具体的に決算書をどう公開するかを考えていきますと、役員報酬を個別にオープンにするのか、社員の給与も全員オープンにするのか、公開の場で社員からの質問を認めるのかなど考えるべきポイントはけっこうあります。また、経営者がどのような経緯で決算書を公開しようと考えているのかも様々でしょう。社員は信頼すべき仲間なのだから、会社の状況をオープンにするのは当然のことという経営者の思いから、あるいは会社の業績が悪化したために人件費の削減に手を付けざるを得ず、社員からの納得性を得るためという会社の事情から始まったケースもあると思います。

 以上のように、決算書公開を考えた経緯、経営者の性格や経営者と社員との距離感などを考えますと「計算書を社員に公開するか」どうか、公開するとしたらどのような手順で行うかはまったく一般論はないように思えます。
 ただ、一つだけ述べますと経営者と社員間、社員間どうしで普段からお互いに何を考えているのか、日々どんな仕事をしているのかという、お互いに対する理解や信頼がないと、決算書だけ公開しても 冒頭に列記しましたような憶測を生むだけだと思います。例えば経営者が1週間のうち週2日ほど会社に来るだけで、後は何をやっているのか、どこにいるのかわからないという会社では止めた方がいいということです。


旗を立てるということ(2002/8/11)
 好きな言葉というものは気づかないうちに変化していきますが、最近は「旗を立てる」という言葉が最も気に入っています。ちょっとやそっとで届かないところに自分のなすべきことと、自分の名前を書いた旗を立てるというものです。自分の名前を書いてある以上、やるべきことは旗の下にたどり着き、その旗を引っこ抜き、遠いところに違う旗を立てるか、引っこ抜いた旗をかついでそこまで歩んできた方向と同じ方向に歩みを続けるかだけでしょう。
 私の旗には「中堅・中小企業の経営基盤を経営・会計・ITの3つの視点から総合的に強化する」と書いてあります。どのくらい遠くに旗を立てたのか正直よくわかりません。経営の視点から言えば最も根幹は「人の意識を変えること」に行き着くと思いますが、これがどんなに困難かは多言を要しないでしょう。また、ITの視点から言いますと、Web技術を中心に日々新たに生み出され、機能アップされる製品やサービスの中でお客様に最も適したものを組み合わせて提供するということも、かなり難しいことです。お客様に製品を導入後、何らかのトラブルが起きてもその原因がどの製品から起きているのかを切り分けること自体、かなりのスキルがいるものです。
 今、鮮明に感じているのはお客様と経営系・IT系パートナーと私どものネットワークの輪が確かなものとして築けたときが旗を引っこ抜けるときかなというものです。そのときを目指して一歩でも前に歩を進めることに注力していきます。
 考えてみれば「旗を立てる」ということは企業がミッション(使命)を明確にするということと同じです。現在のような混迷と停滞の時代にあっては唯一揺るぎないものとしてミッションを明確にし、自らをドライブ (駆り立てる)することは企業にとっても個人にとっても重要なことのように思えます。
 


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